HOME > その他 > 気になる事

前へ 次へ
2002年01月15日 保護と愛護(別角度からのエゴ・・・「かわいそう」という事)

< 注意 >
この文章は「悪魔の辞書」的発想で書かれておりますので、
もし、途中でここに書かれている事に納得してしまうようなことがありましたら、
それ以上読み進まないでください。悪魔に洗脳される可能性があります。

年も明けて2002年。今年はなんと言ってもサッカーワールドカップの年。
サッカーなんか興味無い人にはあまり関係無いかもしれないけど、中学生の頃からサッカーをやっている私にとっては「遥か彼方異国の地で行われる夢のような大会」。
それが、日本で行われるんですから今から興奮物です。

しかし、世界中から文化の違う人がたくさん訪れるんですからそれなりに難しいこともあるようです。お隣の国韓国では犬を食べる文化が問題になっているそうで。
韓国ではごく当たり前のことのようですが、サッカーの中心地ヨーロッパから見れば異様な光景になるのでしょう。ヨーロッパを中心に動物保護団体からかなりの圧力がかかっているようです。

でもね、別に飼い主に捨てられたコリーやチワワを追っかけ回して、捕まえて、丸焼きにして食おうってわけではないんですよ。食肉用として飼育している犬を食べるんですけど、犬を愛玩動物として家族同様にかわいがっている人たちにしてみればおぞましい光景に見えるのかな?

ヨーロッパ人(どこの国だか忘れた)に意見を聞いたら「かわいそう」という返事が返ってきたのをテレビで見た。この意見は一番悲しいね。牛やブタや鶏はいいのに犬はかわいそう。
同じ様に食肉用として飼育され、同じ様に食肉用として加工されるのに変な話だ。

彼らがたしなむ「キツネ狩り」の方がよっぽど「かわいそう」だと思う。あれはただ単に殺戮の快感を求める遊びに過ぎないと思うから。彼らに言わせれば「キツネは病気を撒き散らす」と言うかもしれないけどキツネと接触する機会がどれくらいあるのだろうか?。中世ヨーロッパでキツネの住めない環境を作り出したためにネズミが増え、ペストが国の存続をも揺るがした経験はすでに過去のものになっているらしい。日本では穀物を食い荒らすネズミを食べてくれるから、霊獣として崇められていたのにね。あっちでは毛皮をかぶった動物といった認識なのかも。

猿回しのサルについても「かわいそう」って言っていた外国人がいた。その人いわく、野生動物なんだから野生に帰してあげるのが一番らしい。犬や猫は飼いならされてきたから人に飼われるのが幸せと解釈していた。ほんとうにそうなのか?。例えば何万年も前に宇宙人が地球に来たとする。そして人類の祖先を連れ帰って品種改良し「座敷人間」だの「牧羊人間」だのといって何万年も飼いならしていたとしよう。そんな人類を見たら幸せそうに見えるだろうか?。人間の主観的な解釈だよね、どんな動物も野生が一番。

モラルは進化していると思う、昔は普通に行われていた人身売買も今は不道徳の至りになっている。やがてペットとして生物を繁殖させたり売買することが不道徳とされる日が来るかもしれない。22世紀の教科書には「犬の繁殖や売買は一部のアイケンカと呼ばれる人々の根強い抵抗により21世紀初頭まで行われ、多くの犬が拘束され屈辱的な生活を強いられていた」なんて書いてあるかもしれません。

私達日本人もその昔、牛を農作業を行う上でとても大切なパートナーとして飼っていた頃がありました。そんな牛を食べるヨーロッパ人を見て鬼だの野蛮だのと称した時期がありました。
食文化というものは「気持ち悪い」とか「かわいそう」といった感情論になってしまいがちで、お互い理解することは難しいのかもしれません。

一昔前にも捕鯨問題がありました。
あれも最初は絶滅寸前のクジラを保護するのが目的でしたけど最後のほうは反捕鯨国の国民の主観的な感情が優先されちゃったみたいでなんとなくしっくりしませんでした。

絶滅寸前のクジラを保護するのは賛成。でも、増えているかもしれない種類まで保護するのはどうか?。しかし調査捕鯨も禁止。なぜなら、調査して増えていたら困るから。捕鯨禁止の理由が見つからない、いくらなんでも国際会議で「かわいそう」とは言えないでしょう。

「ブタや牛はかわいそうではないの?」と聞くと「クジラは賢いから」という返事が返ってきていた。ヨーロッパ的な発想だよね。槍を持って狩りをし、文字を持たない人達がいた。その人達を「賢くない」と決め付けて差別し、人類史上もっとも大きな過ちを犯してしまったことを忘れている。自分たちが頂点でそれに近いものから優遇していく考え方は捨てたほうがいいと思う。「ミミズだってオケラだってアメンボだって」って歌おうよ。

早く冷静になってクジラの調査をし、資源として利用できる種類は利用すべきだと思う。
でも、ホエールウオッチングなんかしちゃうと反捕鯨になっちゃうのかな?。
クジラを中心に生態系の崩れやすさを勉強した人たちはクジラが掛替えの無いものになってしまいますからね。

日本でもクジラではなくブラックバスが掛替えの無い物になっている人たちがいた。
「ブラックバスはキャッチ&リリースしないと絶滅してしまう」というふうにちっちゃい頃からブラックバス釣りを通して自然に触れ合ってきた人たちにとってブラックバス駆除は言語道断らしく、駆除を始めた漁協に対して脅迫文を送りつけた事件があった。漁協は環境保護をうたっていた。脅迫文を送った人も環境保護をうたっていたのだろうか?。

私はちっちゃい頃、スルメでアメリカザリガニを釣っていた。生まれた時からアメリカザリガニはどこにでもいたので外来種だなんて思いもしなかった。それと同じように、今の若い人たちにとってブラックバスは生まれたときからいる当たり前の魚なのかもしれない。

私はブラックバスは釣らないけど、シーバスを釣ります。
シーバスはスズキのこと。ルアー釣りではカッコ良くこう呼んでいます(笑)。
東京湾岸から200メートルくらいのところに住んでいますから、子供の頃から東京湾で遊んでいました。子供の頃はゴカイでハゼを釣るのが好きでした。でも、初めて釣りに行った時の記憶も、人に教えてもらった時の記憶もありません。物心ついたときにはすでにハゼを釣っていました(笑)。

昔はたくさんたくさん釣れました。日曜日の昼下がりから夕方まで釣ればバケツ一杯釣れました。その頃キャッチ&リリースなんて言葉は無かったから、釣ったらバケツにとっておく。帰る時海に帰す、というより死んでいるから海に捨てる。それが普通だった、かわいそうという発想すらなかった。ハゼの口に爆竹を突っ込んで爆発させるなんて事もしてたっけ。カニに爆竹をはさませて爆発させるなんてのもやってた。導火線に火がついた爆竹をしっかりはさんで逃げる姿が滑稽で面白かった・・・・当時は。今考えると残酷ですね。

今、東京湾では税金を使ってハゼの放流を行っています。あの頃、みんなにキャッチ&リリースのルールがあったなら、こんな事にはなっていなかったかもしれません。

シーバスはちゃんとキャッチ&リリースしてます。私達がきちんとルールを守らないとハゼのような結果になりかねませんから。シーバスを守ろうとする考え方は確実に広がっているようです。

でも、気になることが1つ。シーバスを守ろうとする気持ちが過剰気味になっていることです。
シーバスを10匹ほど並べた写真をUPしたホームページがあった。もちろんシーバスは死んでいるはず。キャッチ&リリースのルールが守られていない。でも、このURLを他の掲示板で公開し、名指しで非難するのはネットのルールに反すると思うし、前出のブラックバスの脅迫状につながりかねない危険性があると思う。いわば自己中心的なエゴだと思う。

極端な話、写真に取ったシーバスを市場で売って、やっと滞納していた子供の学校の給食費を支払うことが出来たのかもしれない。そんなにお金が無いならホームページ開設するなよってことになるけど。

そこまで行かなくても、シーバスを獲って生計を立てている人はたくさんいる。私を含めて釣り人は快楽だけのためにシーバスを釣っている。そう考えると「食肉用の犬」と「キツネ狩り」の関係に良く似てくる。キツネの場合は「狩り」を非難して、シーバスの場合は「狩り」の立場にいる。これが「かわいそう」の原点なのかもしれない。キツネを即死させるのと、キツネの口に針を引っ掛けて散々引きずり回した挙句、リリースといって放してあげるのはどっちがより道徳的なんだろう?。

シーバス保護の立場から網での漁を禁止しようという意見を持った人もいる。
東京湾のシーバスは増えているのか減っているのか分からない。それでも禁漁だそうだ。
なぜ?。「かわいそう」だから。それじゃ捕鯨と変わらない。

重金属問題で漁が禁止されていた頃は今よりたくさんのシーバスがいた。それは確かだと思う。その頃よりシーバスの数は減っている。だから即、絶滅とか保護というのはどうだろうか?。自然の生息密度に近づきつつあるともいえないだろうか?。

東京湾は特殊な環境です。閉鎖水域に近い状況にありながら、たくさんの農業排水や生活排水が流れ込み、ほとんどの生物が死滅しています。以前、潮通しが良いところでアンモニアの濃度を測定したことがありますが「ほとんどの生物が死滅する」という今までみたこと無い色に試薬が変色したのを覚えています。

こんなところに住めるのはほんの一部の特殊な能力を持った生物のみ。魚でいうとハゼ、ボラ、そしてシーバス。

ここに住んでいるシーバスは、カサゴなどの根魚やカツオなどの回遊魚とエサのとりあいにもならず、幼魚のときに捕食されることも無い。汚れた湾奥もシーバスにとってはライバルや天敵のいない楽園。しかも重金属問題で人間が漁をしないとなれば爆発的に増えていたはず。
多分、 その頃はシーバスがシーバスを食べて数を維持し、他の生物を食べた分だけ増えていく「野池のブラックバス」のような異常な状態が続いたいたのではないでしょうか。

東京湾奥で食物連鎖の頂点に立つシーバスが、あっちの護岸にも、こっちの台船の下にもうじゃうじゃいる状態は人間が作り出した環境の中でのみ存在するのであって、自然界では存在しないでしょう。

やがて重金属問題が解決され、漁が解禁されると同時にその数は急激に減りましたが、それはただ単に自然の生息密度に近付いて行っただけではないでしょうか。

東京湾が以前に比べ少しずつきれいになってきているのもシーバスが減った原因になっていると思います。きれいになっていろいろな魚が住めるようになり、シーバスの楽園だった場所にも天敵やライバルが出現するようになれば、その分シーバスの数は減っていきます。元々種の多様性が崩れたために増えてしまったのですから、これも自然の生息密度に向かっていると言っていいのではないでしょうか。

東京湾が汚いというのは富栄養が原因です。
関東には日本中どころか世界中から食料や飼料、肥料が集められています。その一部が栄養分として東京湾に流れ込んでいるんですけど、これだけの人間が集まるとその量も半端じゃない。この栄養分はどうなるのか?。学校で習った、微生物が分解してくれる。しかし食物連鎖の中では体内に取り込まれて形が変わっても、その生物が死ねば大部分が元の栄養分に戻る。東京湾のように閉鎖性の強い海域では常に富栄養化による水質の悪化が問題になる。

自然の状態では海鳥や回遊魚によって湾内から取り除かれ富栄養化を回避しているが、東京湾では海鳥が集まる干潟も、魚が回遊してくる水質も維持されなかったし、流れ込む栄養分の量が自然のルールで処理できる量を上回ってしまっている。人間が栄養分を流し込んでしまっている以上、人間が取り除くしかないでしょう。

以前、テレビで見たんですけど、中国あたりのちっちゃな村での話。
生活排水を1つの池に集めていました。でも、このままでは池は生活排水で富栄養化してしまいます。そこで、その池でホテイアオイという浮き草を栽培していました。ホテイアオイは池の栄養分を吸収して成長する。そして増えたホテイアオイをブタがエサとして食べる。もちろんブタは人の食料。

東京湾で漁をすることは人が流してしまった栄養分の回収にもつながっているんです。栄養分の回収によって東京湾の浄化に貢献しているんです。ですから、自然界の生息密度を超えて生息している生物を取り除くことは東京湾の浄化にとって必要なことなんです。
ただ単に「間引く」だけでは終わらないんです。

東京湾で栄養分の回収に最も適した生物は?。
一番富栄養化が進んでいる東京湾最深部には藻は生えていません。住んでいるのはゴカイ、ハゼ、ボラ、シーバスくらい。ゴカイは海底の泥の中に埋もれた栄養分を吸収し、自ら食べられることにより水中に放出する働きをしています。ハゼは税金をかけて放流しています。
ボラは台湾沖まで回遊し産卵するため、湾内の栄養を外洋に運び出す働きをしています。

シーバスの産卵場所は東京湾から少し外に出た千葉県の金谷港沖辺り。
11月から1月の寒い時期、冷たい湾内の水と、暖かい黒潮の境である熱塩フロントを越えた外洋で産卵します。しかし、産卵後の成魚や孵化した稚魚はすぐ湾内へと戻ってくるため、湾内の栄養を外洋に運び出す事にはなりません。ですので、東京湾で栄養分の回収に最も適した生物は、やはりシーバスということになるでしょう。

シーバスなら食用として売却すれば収入がえられますし、シーバスが減ることによりハゼが増えればその分、税金の節約にもなります。

更にいえば水銀の問題もあります。最近、蛍光灯に含まれている水銀が問題になっています。非常に有毒なため一部の自治体では蛍光灯を選別して回収していますが、東京ではそのまま破砕して埋め立てています。埋め立てられた水銀は地中の圧力と発酵熱により気化され、熱を逃がすために作られた排熱口を通って空気中に出てきています。もちろんその後、海に溶け込んで生物の体内に蓄積されています。

この水銀の蓄積レベルは大変危険な状態まで来ていると、あるテレビの報道番組は警告していました。食物連鎖の頂点に行くほど水銀の体内濃度はあがります。シーバスを回収することは効率良く水銀を回収することにもつながります。一番体内の水銀濃度が高いのは人間になってしまいますけどね。

右の句読点をクリックしてください
シーバスが絶滅に向かっているなら保護も必要ですが、それを調査もせずに禁漁と叫ぶのはどうでしょうか。シーバス漁が東京湾の富栄養化を鈍らせ、有害な重金属を回収しているかもしれません。将来、東京湾が浄化され安全な海水に多種多様な生物が住むようになったとき、シーバスの生息数は今より確実に減っていると思います、なぜなら今は自然界の生息密度を越えて生息していると思うから。もしかしたら、自然界の生息密度に近付けるためにシーバスを「間引く」といった状況が本当に生まれてくるかもしれません。そうなっても「脅迫状」だけは書いてほしくない。

別角度からのエゴ・・・「かわいそう」という事。
前へ   このページの先頭へ   次へ

ルアーシーバス&アクアリウムシーバスアクアリウムオオクワガタカナヘビ

 HOME > その他 > 気になる事 > 02年度
保護と愛護 1万カウントを超えて ウエイトトレーニング
FMナックファイブ 陶器市 国際釣り博2002
CDチェンジャー このごろ みずほ銀行
日記「耳鳴り」 2台のテレビでW杯 日記「日中サッカー」
ネットオークション グラフィックアクセラレータ ワイヤレスLAN
巡る世代 電動歯ブラシ